LIFESTYLE

虐待されてHSPになり人生詰んでいたけど思いがけず運命の人と出会った結果無事夢にまで見た人生を掴み取った24歳女子の話

基本的にどん底で仄暗かった幼少〜小学低学年時代

 

そもそも人生はじまって3年くらいの頃に実父が放火殺人未遂詐欺のその他余罪で刑務所入りした時点でかなり暗い人生スタートでした笑

その後4歳で母が再婚。人相の悪い継父がある日家にやってきたのをよく覚えています。

再婚後は転職族だった継父に連れられ東京の世田谷に引っ越しました。

 

ゆえ
ゆえ
思えば世田谷に住んでた時が幼年期で1番幸せな時だったな…幼稚園の先生も優しかったし。友達のさっちゃん(仮名)と毎日楽しく遊んでたし…

 

世田谷で1年過ごした後北海道に戻ると、転園した保育園で先生からいじめられたことにより見事に大人不信になりました。(元々大人が嫌いだったのに拍車がかかってしまった

ちなみに北海道の小学校に入ってもイマイチ周りと馴染めずどの学年のクラスでもやや浮いた存在になっていました。おや??もしかして人生ハードモードか?とここら辺からうっすら気づき始めます。

 

 

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小学校3年生で大阪に引っ越し。大阪の民にこっぴどくいじめられる

 

またまた継父の転職が原因で今度は継父の実家の大阪に引っ越すことに。

 

ゆえ
ゆえ
北海道と大阪では当然しゃべり方も県民性も違うので転校当初はだいぶねちねちいじめられました。

 

ただまあこの時点でだいぶスレていたため、精神年齢の低い同級生のいじめにはそこまでダメージを受けずにすみました。

問題はマツコ似のクラス担任。これがまた性格の悪いおばさんで1年ずーっとねちねちねちねちいじられたことにより大人不信が一層深まる結果に…。クソが。今の人格形成2%くらいおまえのせいだ。クソが(引きずる恨み節

 

 

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小学4年の後半また引っ越しで和歌山へ。

最後の引越しと言われた大阪でしたが転職したがりーの継父がそんな約束守る訳もなく。小学校4年生の後半に関西の陸の孤島と名高き和歌山県へお引越しとなりました。

そこでまたいじめられるわけですが、9年間コンスタントにいじめられていればいじめられっ子耐性大いにつくというもので…

プリントを1人回されなくても、掃除の時間ほうきで集めたほこりの山に上着を落とされ「これ落ちてたよww」と差し出されても特に何とも思わなくなっていました。(坦々といつか貴様をKOROSU…とは思っていましたが

結局いじめっ子が飽きた事により4年の終わりにはいじめも終結し、5・6年は至って平和に過ごしました。

 

ゆえ
ゆえ
正確に言えば恋愛的な面で非常に厄介なやつに捕まってしまい以降高校卒業して別れるまでそいつに付き纏われることになるのですが、それはまた別のお話で…

 

 

 

中学は友人関係、趣味と大いに充実した日々を送る

 

私の学生生活いつが1番楽しかったといえば間違いなく中学時代だったと答えるくらい中学校生活は本当に楽しく充実したものでした。

地元の不良中学校に行くのは死んでも嫌だと思っていた私は大した頭もないのに某附属中学校を受験したわけですが、これがなんとも、すんなり受かってしまい…笑

お金持ちの子供が多いと噂(噂通り社長令息令嬢まみれだった)の中学校に馴染めるかやや不安でしたが、変わり者まみれの学年だったのでそれはもう私が魚で学校が海!というレベルで速攻馴染みました。

ゆえ
ゆえ
今でも友達の9割は中学校の友達です!全部で10人ちょっとしかいないけど!!

変わった子が多いですが不良中学の子たちみたいに学ぶことをサボろうとする子は1人もおらず、皆学問も学校行事も一生懸命に取り組もうとしていました。

私もそういったものには全力で取り組みたいタイプなので余計に波長が合ったのでしょう。

美術部に入ったことでオタク友達も充実し、中学校生活はほんと最高!の一言に尽きる幸せな3年間でした。

 

 

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進学校合格で薔薇色のはずが…部活、恋愛、勉強、家全てにおいて暗黒の高校生活

 

中学時代試しに入った塾入った塾全て合わなかった私は、藁にもすがる思いで進研ゼミ先生を受講し、それはもう必死にせっせと勉強して、担任からは「90%以上の確率で落ちるからもう一個下のレベルにしろ!」と言われるも頑固に受かると信じ受験した自称進学校に見事合格!したところまでは良かったんですよ。

私の中学からその高校には20人近く受かったため仲間がたくさんいる中入学したのもほんと頼もしい限りで、

ゆえ
ゆえ
俺の高校生活ハッピーまっしぐらだぜー!!!

と思っていました。入学して1日目くらいまでは。

でもいざ入学して他校の子と話してみたら、小学校の子たちみたいな子達ばかりで何を話しても全然面白くない。男子の精神年齢は同じ中学の男子より遥かに低く授業中に無意味に騒いだり、学祭準備も真面目に取り組まないなど惨憺たる有様。

仮にも偏差値65くらいの進学校でこれです。ほんと気が狂うかと思いました。

 

ゆえ
ゆえ
これが偏差値70を超えてくるとまた話は違うらしいです。もっと勉強すればよかったなー!!!

部活は小学校から付き合って別れてを繰り返していた例の彼氏がマネージャーをしてほしいというから同じ運動部に入ったものの、そこの人たちも全く面白くなくて同じ中学の私と女友達1人はかなり浮いた状態。

彼氏は顔はいいけど性欲がすごくてどこでもヤろう精神だし、運動のできる弟に母親を取られてなんとか自分を見てもらおうと日々躍起になってるすごいマザコンだし。学祭でクラス1位を私のクラスに取られて「おまえのクラスが1位なんて絶対あり得ない」とさめざめマクドで泣くきしょオブきしょマンでほんとなんで付き合ってたのかわかりません。友達全員に言われました。十中八九病んでいたからですけどね。つらいね。

継父は段々成長して知恵のついてきた私が鬱陶しくなったのか私の家内外での行動を厳しく制限し始めました。ちょっと書いてみると

  1. 1階にいる間は常に私を監視(後ろからついてくる
  2. 2階の自分の部屋にいても足音を消していきなり部屋に入り、あらゆる引き出しを、カバンをチェックして色んな事を言って(時にはその場で物を捨てられる)去っていく
  3. ていうかいない時に勝手に部屋に入られて物が捨てられてる(頻繁
  4. 部屋が汚いと階段の上からあらゆる物がぶん投げられる。ゲーム機でもお構いなし
  5. 22時以降物音を立てるとブレーカーを落とされる(古い家なので椅子を動かしただけで即THE・END
  6. 寝ている時間も寝ているかどうか確認しに部屋に入ってくる
  7. お菓子・飲み物の自室持ち込みは厳禁
  8. というかお菓子を食べることは禁止
  9. 味見禁止(作る者以外するべからずとか体の良いこと言ってた
  10. 入浴中に給湯器を切られる
  11. なんなら高校後半は最初から切られているため水
  12. 給湯器やブレーカーを再度つけにいくとバチカスキレる
  13. 平日門限は夜19時。過ぎれば内鍵を閉められる(片道1時間の通学で部活終了は19時半だったのでそもそも無理ゲー

…etcetcetc

あれ?ちょっとのはずだったんですがこんなに出てきてしまいました笑

ほんと数え切れないくらい色んな事をされていたし怖いくらい鮮明に覚えているので、どれも今目の前で起こっていることのように説明できる自信があります。マジで。

こういうのはいわゆる精神的虐待に相当します。

が、なんせ証拠が取りづらいので立証がほぼ不可能なんですね。悲しい事に。

ちなみに高3の夏には継父が私を巡って喧嘩した母に暴力をふるい、止めに入った私とワインを割りメガネを吹き飛ばしての殴り合いの末、警察のお世話になるというなんともお粗末なことに。

 

警察を呼ばれたことを機に継父は居心地が悪くなったのか義実家にとんぼ返り、長年継父から受けてきた精神的虐待(特に一番効いたのは高校3年間のアレコレ)のせいで限界が来ていた私は継父がいなくなったことでタガが外れたのか一気に心身に不調をきたし自律神経失調症になってしまいました。

 

ゆえ
ゆえ
高3夏事件〜継父とんぼ返りの間も色々ありましたがあまりに長くなるので割愛します;それにしても幼年期からここまでよくもったな〜ほんとうにえらいぞ自分!

 

 

大学進学を目指すも…理解のない母親に苦労し、不調のまま鬱々と過ごした浪人時代

 

ゆえ
ゆえ
とりあえず大学に進学して農芸化学を学びたい…

 

という気持ちがあった私は自分が自律神経失調症だと気づかないまま浪人として勉強に取り組むことに。

しかし、勉強しようにも動悸がしたり、夜になったら眠れなくなったり、ふいに不安でどうしようもなくなって泣き出してしまったりして何の教科もうまい具合に進まず、結果二浪にまで追い込まれることになります。

母親は勉強が得意でないので(高卒・専門中退)、日々机に向かう私をみてどうしてこんなに参考書や問題集を買ってもできないのか?といった態度で私に接してきました。

ゆえ
ゆえ
言ってもいいかな?どんだけ本買ってもできねーもんはできねーよ!!!

 

唯一の理解者のはずの母のその冷たい態度が、ますます私の不調を推し進めたといっても過言ではありませんでした……そしてもう後がない三浪目に突入した21歳の頃、唐突に継父が和歌山に帰ってくると言い出しました。

かつ、俺が帰ってくるまでにサル(私のことです。もっぱら家ではこう呼ばれてました。そこまでサル顔じゃないと思うんですけどね?ていうかわしがサルならてめーもサルだろばーかばーry)を追い出しておけ、とも。

これを機に一人暮らしができる!と思い浮き足立ったものの、引越し直前で話は変わりなぜか継父と入れ替わりで義実家に入居することに。(ほんとになんでだよ

しかし元々義実家にいる人間たちの性格や考え方が心底嫌いだった私は、ある日義祖母が義祖父に私の悪口を言っていたのを聞いたのを機に「てめー言いたいことがあんならこっち来て言わんかいオイボレガァァァー!!」と喧嘩をふっかけ(買ったともいう)、度重なる口喧嘩で義実家側を疲弊させることに成功し見事1ヶ月で大阪のとある地方都市に一人暮らしすることに決まりました。

 

ゆえ
ゆえ
口から産まれてきた(古い…)と言われるくらいよく回る口がようやくここで役に立ちました!!ざまぁみやがれイエエエエイ!!

 

 

 

人生最高ー!!な一人暮らし浪人を言い訳にのんびり毎日を過ごす

この時点でほとんど大学進学は諦めてました。だって進学するお金がないのがわかってましたから。

正確にいうと継父は結構稼いでるやつ(年収1000万くらい)だったので金自体はあったのです。

しかし子供3人大人2人の5人世帯で生活費は月20万ほどしか入れず残りは自分のオーディオ&ガジェット趣味に費やしていたカス中のカスだったので、我が家の足りない家計費は母のパート代&夜職代で補われていました。

以上の事から当然母に私の大学資金など貯める余裕などある訳もなく、かつ継父は私が高校を卒業したら国公立大に行かない限りビタ一文も援助しないと豪語していたので私の大学への道は最初から閉ざされていたも同然でした。

 

ゆえ
ゆえ
じゃあなんで勉強させられてたのかって?まあ母曰く、いつかあの人は改心する…とのことだったので、それを期待していたんじゃないですかね。しらんけど

 

ほんと謎の3年間でした。私も思考停止してたから良くないんですが、とはいえ努力だけは死ぬほどしたので…それが今の糧になってると思いましょう。うん。

ちな浪人しながらバイトしろ!と無茶言う母親に屈し(マジで浪人がどういう状況かわかってないと思う)、飲食やカラオケ屋など色々な仕事に手を出してはみたものの…治ってない自律神経失調症やHSPなどの特性もあり、どれも長くは続きませんでした。

このまま大学に受からなかったら死のうかなぁ…とのんびり考えながら過ごしていましたが、21歳の秋に念願の猫2匹と暮らせることになったので猫が死んだら死ぬくらいに人生計画を書き換えることに。

しかし、その冬の暮れにさらに計画を書き換えることになるとは全く予想もしてませんでした。

 

 

ほんの出来心で体験入店したクラブで…運命の出会い

普通のバイトも続かないしなんだかなあ人生めんどいなあと思ってた21歳12月の頃。

水商売経験のある母親から「じゃあ夜やってみれば?」と勧められたのをきっかけにとある高級クラブに体験入店してみることになりました。

実際行ってみるとママは絶対性格悪いタイプのおばさんだったので秒で

 

ゆえ
ゆえ
よーし!体入のお金だけもらってさっさと帰るぞ!!

 

と決心した私。

しかし体入ながら、「仕事は仕事で精一杯やろう!」と気合い十分で意気込んでいました。そんな目をギラギラさせて意気込んでいると、ある団体がぞろぞろ列をなして入店し、その団体の1番奥のテーブルに入ってほしいと案内されることに。

 

そこで正面に座っているchampionのトレーナーを着た眼鏡の男性を見た途端

 

ゆえ
ゆえ
あ…私この人と結婚するかも

 

 

電撃が流れたわけでもなんでもないけど、目が釘つけになってその人のことばかり考えてしまうようになってしまったのです。

そしてそう、その男性こそ現在の私の夫のKなのです。

Kも私をいいなと思ってくれたのか、隣に案内されてからはほとんど2人で喋りっぱなし(体入だから許されたこと笑)、最後には皆に内緒で連絡先を交換してお別れしました。

その後すぐLINEでやりとりをはじめ、次の日にはスタバでお茶をしドライブデート、平日はずっとLINEでやりとりして日曜のクリスマスには無事おつきあいすることになりました。(ここもまた詳しく書こうかと思います。需要があれば笑

周りの人からは散々「騙されてるからやめとけ!!」と言われたのをよく覚えています笑

 

ゆえ
ゆえ
まあ普通体入したクラブで連絡先交換した客と付き合うなんて地雷臭半端ないですもんね。友達の気持ちはよくわかります…ええ…笑

 

 

付き合ってから現在まで…今までの不幸がありえないくらい幸せな生活

その後お付き合いを続け(バレンタイン頃に一悶着あったのですがブログに書くかどうかは結構ディープな話なので迷い中笑^^)、3ヶ月経った頃にはお互いに結婚の意思があると打ち明け合い、(ほぼ即決で)私が22歳の年に籍を入れようという話になりました。

ただ悲しいことにKの大事なおばあちゃんが付き合って半年過ぎた頃に亡くなってしまったので、喪に服して入籍はそこからまた半年ほど延期する事に。

最終的に23歳になる手前春に無事入籍し、いい機会だからと一軒家を借りて暮らすことになりました。

23歳の秋には息子のちかたろも生まれ、現在は3人と猫4匹で日々奮闘中です!

 

ゆえ
ゆえ
育児に家事にブログに…と大変な事も多いですが、今までの人生からは考えられないくらい幸せな毎日です

 

私を愛してくれる人が現れて、その人との間に授かった子供と動物と暮らすことが私の小さい頃からの最上級の夢でした。

 

 

ゆえ
ゆえ
叶うはずもないと思っていましたが…叶えてくれたKさんには感謝してもしたりません

 

次なる私の夢は、私の夢を叶えてくれたKさんやちかたろ、愛猫のみつ&ひな&むつ&きょうにこれから私がうんと働いて幸せに暮らせるようにしてあげることです。道のりは長いですがコツコツ頑張っていくので…お暇な方はどうぞお付き合いください。

 

おまけ:あれ?ちかたろ生まれるのはやくない?春に入籍して秋に生まれるって…もしかしてデキ婚!?

と思うかもしれませんが、正確にはデキ婚ではありませええーん!

私とKが8歳も離れている年齢の都合上子供は早く作った方がいいと2人で考え、私の母をなんとかかんとか説得して入籍前に妊娠したので入籍と出産の時期がだいぶ近くなってるんですね。

正直入籍前の妊娠はデメリットだらけでぶっちゃけオススメはしませんが(私たちはお互いにかなり蓄えがあったので婚前妊娠に踏み切る形となりました)…無事ちかたろも産まれたし、Kも31歳というちょうどいい年齢で父親になれたので私たちの場合はこれで良かったな思っています

ていうかしょーーみ親に求められるのはこどもを愛情深く何不自由なく育てられることなので、デキ婚でもそれができていればええやないんですかと思うタイプの私です。

 

ゆえ
ゆえ
普通に結婚しても虐待したり、行動を制限したりして自分勝手に育ててる親に比べたらね。そ、継父みたいなカスに比べたらね!!!

 

まあそんなこんなで、ちかたろに関してはそういうことです笑

現在の私

妊娠出産を機に体型が変わったので、現在は筋トレを中心としたボディメイク、また小さくなってしまった胸を爆乳にすべく育乳に取り組む専業主婦として日々必死に生きています笑

また夫Kさんの方針で「ちかたろは3歳まで家で見よう」となったので、家にいる間なにかお金を稼げないかな〜と考えた結果現在はブログやSNS運営で収益化を頑張っています。

産後は心身ともに不安定な事も多く中々思うようにブログが進めなくて焦る事もありますが、マイペース大事!自分のペースで頑張ろう!と焦るたびに言い聞かせ、自分にも読んでくれる人にもより良いブログにしていけるように努力している真っ最中です。

ゆえ
ゆえ
まだまだ発展途上の私とブログですが、日々色んな事を学んで頑張っていきたいと思いますので何卒よろしくお願いします!